現代の魔女の多くが4大エレメンツに色々なものを分類することはお話しました。4大エレメンツはもともとは魔女や魔法、魔術などのものではありませんでした。ギリシアの自然哲学者エンペドクレス(Empedocles、紀元前490年頃? 紀元前430年頃)が「四元素説」を提唱したものです。その内容をもう少し詳しく言うと、
「万物は水地火風の4つのリゾーマタ(rizomata:根)からなり、その組み合わせの比率により、黄金にも鉛にもなる。その集合と離散の核力(原動力になる力)となるのは愛と憎しみである」
これが、そもそもの考え方でした。もちろん、今では、この考え方が物理的にも化学的に間違いであることはわかっています。しかし、これが正しいと考えられていた時代は意外と長く16世紀半ばに黄金期を迎えた錬金術では、この考え方を元に研究がなされ、近代化学が生まれるまでそれが表舞台から完全に消えることはありませんでした。
そうした錬金術の発展の裏で、この四大元素説は魔法や、魔術の中核的な考え方になっていきました。ちなみに話は多少ずれますが「オッカムの剃刀」「ヘンペルのカラス」等、自然哲学には魔法に役立つ色々な考え方があります。またニールス・ボーアが中心となったコペンハーゲン学派の考え方は魔法と量子力学の意外な共通思考が得られ、これらは学んで決して損はないと思います。
さて、魔女の中でWiccaは万物照応という形で全てのものを水地火風に分類して考えます。伝統的Witchcraftでは必づしもそうした考え方を持っていませんでしたが、私はこの考え方が非常に有効であると考えています。私の師もその有益性を認め、教え自体は伝統的Witchcraftの流派でありながら「流派の教えとしてではなく自分が独自に学んだこと」として私にも教えてくれました。独自に学んだといっても、継承した教えに上手く組み込んでいました。それは非常に納得できるもので同時に、今見直しても非常に的確な分類となっていると思います。ですから、私はこの四大元素説を魔法に取り入れることが合理的だと考えています。
エンペドクレスの四大元素説で注目すべきことは、他に3点あります。
一点目は、彼が転生説を指示していたことです。事実彼は
「私はかつて一度は、少年であり、少女であり、藪であり、鳥であり、海で跳ねる魚であった」
と述べています。これは四大元素説とも彼の理論の中では密接に関連しており、魔女の信じる転生説ともほぼ一致することから、四大元素説が魔女の考え方に取り入れられても矛盾が起こりにくいことを示しています。
二点目は、魂は、頭や胸ではなく血液にやどっているとした。また、最初の人間は、土から頭や腕や足などの体の一部が最初にでき、それらが寄り集まって生まれたと説いていたことです。これは魔女の考え方と一致するというわけではないのですが彼の理論と発言の記録を考え合わせると、人間の肉体も四大元素でできている、という意味の解釈をすることができます。これは魔女が万物(が四大元素に照応するという前提において)の全てと同じ要素を内包しているという発想に援用できます。
三点目は、人間の感覚について、視覚は目から放出された光が対象物にあたることによって、聴覚は耳の中にある軟骨質の鐘のような部分が、空気によって打たれることにより生じるというように五感を一つ一つ説明している点です。これは四大元素によって構成される人間が、四大元素に各々照応する万物にどのようなアクセスを試みることによって認識できるかを説明している、という解釈を許します。
ここで、心理学者のユング博士の理論をあわせて考えると、4大エレメンツは水地火風に対応すると同時に人間の心の4つの機能、すなわち、思考、感情、直感、理性をさしているととることができます。思考、感情、直感、理性のことを心理学では「人間の4つの機能」と呼んでいます。これが人間の心の機能に関連付けられれば今でも、この4大エレメンツという考え方は生き続ける発想であることが理解できますし、エンペドクレスの五感の考え方はこれを示唆するものを付随的に指摘しているとも読み取れます。
さて、前回お話した魔法の原理を心理学的な説明に書き換えたものとして説明しておきます。
①現状におけるバランスが自分の望むものではない(現在の状態)
②自分にとって理想的な状態を考え、その状態が安定しているときのバランスを考える
(心理的想像の段階)
③自分の意志の力によって心理学的な4つの機能のバランスを意識的に崩す
(再構築の前の材料の要素化)
④自分の中で、「自分にとってあるべき状態のバランス」を強くイメージする(認識の再構築)
⑤その意図的に変化させたバランスを現実のバランスにぶつける(ギャップの意図的な生成)
⑥意図したバランスに修正させる(再構築されたものの固定化)
というステップになるのです。
つまり、前述の例でいえば、病気になっている状態での精神状態は(A)であるにも関わらず、治っている状態の心理バランス(B)に祈りの力で変えるのです。
そして、(B)の状態が正しい、と現実に対して強く確信し、意図的にそのような言動を取ります。それは現実のバランスである(A)とは矛盾するわけですが、それに対して自分のイメージの中のバランスを押し通すことで、異なったバランス同士が葛藤し、どちらかにあわせようという作用が起こります。そこで、(B)のバランスが(A)のバランスに打ち勝つまで、それを持続させるということなのです。
ただ、それを続けるのはなかなか大変なので、それをもう少し現実的にするためのルールにそった方法こそが魔法なのです。だから、Wiccaの呪文の多くは「そうあるように」で終わるわけですし、伝統的Witchcraftでも同じような呪文のしめ方をする事が多いのです。
「目的がかなった状態をイメージしなさい」といわれるのも、このことを補強する意味で強く強調されるのです。結論的に言えば、「現実のほうが変わらざるを得ない状態」にしてしまうということです。
さて、このような原理の説明はある意味簡単なのですが、実際に行うのは難しいというのも事実です。人間は心が揺れる存在です。ですから、どんなに強く思ったとしても、不安や絶望感が振り子のように戻ってくることもよくある話です。だからこそ、呪文は祈りであり、魔女はその宗教によって存在するものなのです。祈りと信仰以外にこの揺れを安定させ続けることは難しいからなのです。
また、この現実を変えるということは、水地火風のバランスを意図的に変えることを意味します。しかも現実のバランスと自分の中の内的なバランスとをぶつけて内的なバランスに現実をあわせようということなのです。ですから、これを行うためには、現状がどんなであろうとも、自分の中のバランスが取れていなければならないのです。
ついでに言えば、このように自分の精神のバランスを組替える作業というのは、簡単に言ってはいますが実際には大変です。だから、方法論や、その根底にあるルールやその応用方法をきちんと習うことが必要なのです。また、こうしたことの練習中にパニックなどの精神的危機が起こることもよくあるので、独り立ちできるようになるまでは師弟関係、せめてすぐにアドバイスをもらえる先輩がいることが重要なのです。このことからも、世間で広がっている「魔女になることは安全」というたぐいの発言かが、いかにおかしなものであるかがわかりますし、そういう発言をする人ほど、どんなにそれらしく振る舞っていたとしても魔女の大切な部分に触れてもいないことは明らかなのです。