前回で一応の宗教の定義ができました。
今回はWitchの宗教についてです。
繰り返しになりますがWitchの宗教は神秘宗教です。
しかし、詳細は後述しますがそうでないという人もいます。そこでWitchの宗教と宗教の概観を眺めてみたいと思います。
宗教の分類の仕方には色々な視点があります。
神秘宗教と公教という分類についてはすでに述べましたが、宗教の分け方でポピュラーなものとして、世界宗教と民族宗教というわけ方をする場合もあります。
世界宗教というのは、キリスト教、仏教、イスラームに代表される、特定の人種、民族、国家などを超えて、総本山(宗教によっては本部など色々な呼び方をします) を中心とした多くはピラミッド型の組織を持つ宗教共同体を基礎として活発な伝道活動を行い、世界中の広い地域で共有され、信仰されている宗教です。当然、言語も違う人たちの意識を一つの総本山に集中させるわけですから、教えや経典が整い、公教を中心としたものとなっています。
また開祖(創唱者)が明確という特徴も持っているので、創唱宗教とも呼ばれています。創唱宗教は創唱者がその時代の時代背景やその時代の他の宗教や思想などから影響を受けて創唱するので、時と共に個性が強く出るのも特徴です。ある意味、創唱者の生きた時代と環境を切り取ってそれを未来、あるいは他の地域でも通用するように解釈を更新し続けるという宗教とも言えなくはありません。その意味では「普遍性を求める宗教」ともいえるのかもしれません。
それに対して、民族宗教はヒンディー、ユダヤ教、神道など、それぞれの国や民族の中でのみ信仰されている宗教で、当然のことながら、その民族の風習や生活などに深く関わっています。日本人の場合(実際のところアイヌ、琉球などの大和民族以外の民族も含むので厳密には違いますが)、単一民族単一国家なので、神道を民族宗教という意識すらもっていない人が多いですが、神道が他の民族や国で受け入れられないことは神道における天皇陛下の位置付けなどを考えれば理解できると思います。また、宗教とは諸外国にあっては世界観でありながら、日本にあっては儀式あるいは行事でしかないので、こうした意識の希薄さには更に拍車がかかっているのでしょう。
当然のことですが、民族宗教はその民族の成立と共にあり、特定の民族、部族にのみ有効な教えであり、そこにおける神性はその限られた民族にのみ恩恵をもたらします。
しかし、ユダヤ教からキリスト教、ヒンディーから仏教といったように、こうした民族宗教を元にして世界宗教は生まれ、共通項をどこかしらかで持っているのです。たとえばキリスト教の聖書の中の旧約聖書はユダヤ教の聖典です。
また、ここはWitchにとっては非常に重要な点なのですが民族宗教には世界宗教と違って創唱者がいないのが普通です。前述しましたように、そもそも民族宗教の原型は考古学の時代に遡る原始的な宗教観念を元にしたシャーマニズムやアニミズムに由来を持つわけですから、当然といえば当然です。
さて、話をWitchの宗教に戻します。
Witchの宗教は、プリミティブな古代宗教から派生したWitchcraftがあり、その後キリスト教による強制改宗、魔女狩りに代表されるような弾圧の歴史を潜り抜けて現代に続いています。そうした中で、1939年に伝統的なWitchcraftのWitchに秘儀参入を受けたと主張するジェラルド・ガードナーが創唱したWiccaが生まれました。
ここまで読んで下さった方にはわかると思いますが、Witchcraftは民族宗教、Wiccaはガードナーによる創唱宗教なのです。そして、どちらも神秘宗教であったためそうしたものを全部合わせて「魔女の宗教」と認識されるにいたっているのです。逆にそう考えるとWiccaが世界的な広がりを見せるのに対してWitchcraftが広がりを見せないことにも納得がいくと思います。
さて、ここまで概観したところでまとめると、
・Wiccaはジェラルド・ガードナーによって創唱された神秘宗教で、基本的にはカヴンと呼ばれる少人数の集団によって信仰される。また、ソロで活動している人であっても、ガードナーの主張を程度の差はあっても踏襲するので、統一された見解に基づいているといえ、同時に神秘宗教としてのイニシエイションを必要とすることから広い意味での集団の一員とみなされる。
・Witchcraftは本来は民族宗教であり、ガードナーがWiccaを創唱する時にベースとしたということを公言していることからも明らかなように本質的部分に相当な共通部分を持つ神秘宗教である。
・自分の実践するWitchのルーツを必づしも連綿と続く神秘宗教には求めず、ソロで呪術を実践するようなカニンガムなどにそのルーツを求めるニューエイジウイッチ等は、呪術的実践や呪術を成立させている神性に対しての個人的信仰があるだけで、Witchcraftが神秘宗教であるということにことさら意識を振り向けていないことがままあります。本来これはあくまでも「個人的な信仰の連鎖」であり、厳密には宗教の構成要件を大きく欠くので宗教とはいえず、あくまでも個人的な信仰と分類すべきです。
しかし本来は複数の人間が共通見解を持っていることを必要要件とする宗教の一般的定義の例外として「個人的な信仰」を「個人の宗教」として認めることが現代のWitchたちの多くにあり、彼や彼女達の多くが「神秘宗教ではなく、自然魔術に近いWitch」を「Witchの宗教の一つ」と捉えているという部分も現実にはあるので、それに沿う方がWitchにとっては自然である、と考える人も多いようです。
Witchの宗教を特に現代的なWitchの立場から定義する場合、このような捉え方が現実的だと思われるのでしょう。しかし、今まで述べてきたように、宗教の定義は集団性が必須要素になっています。つまり、たった一人の宗教などを語る場合には、そのつどそれを語る人が当事者であれ、第三者であれ、その場で定義することが必要ということになります。こうした考えを肯定的に捉える人が現代の特に日本の魔女には多いので、どうも「宗教」と「信仰」がごちゃ混ぜになっている人が多くなります。そして、多くのWitchは集団性を必須要素とはあまり考えていないのが実情なのでこうした捉え方が「Witchの宗教定義」と主張される機会が多いのです。しかし、それは多くの宗教性の薄いWitchの解釈にすぎないのです。
結局、自分の立場を自分の言葉で定義できればどのように考えていてもよいのですが、これは一般的な宗教の定義や概念に照らしたときには矛盾しています。神性と繋がっていても集団にイニシエイションを経て参加しているわけではないから神秘宗教ではない、という人もいます。しかし誰かに個人的な教えを受けたことは自分にとって師にあたる人いるということですし、ある意味集団とみなせることを無視しています。それから多くの人が見落としているのですが正式に師弟関係を結ぶことはある意味広義のイニシエイションにもなります。
しかし、多くのWitchたちにこうした事を理解していない人が多く、その時々に定義が変わることをよしとしているという現実があります。同時にそうしたファジーさがWitchの宗教のよさに繋がっていると主張されることも事実です。しかし、自分の思いと客観的な定義の違いくらいは抑えておくべきなのは自明です。
なので、他の宗教の人たちと話す機会が出たときに、一般的な宗教という言葉の定義と自分の定義がどう違うかを知っていないと困る場面が出てくる可能性は高いのです。どんな主義主張を持っていてもそれは自由です。しかし、一般的な定義などがわかった上で、という条件がある事を忘れてはいけません。
とりあえず、Witchの宗教と一般的な宗教との定義や感覚の違い、そして、宗教とはどういうものかを代表的な宗教学者の説を駆け足で眺める形でご紹介しつつ、WitchによるWitchの宗教の定義の確認をしてみました。
(初出:橘青洲ブログ 2007.9.9 改訂2021.6.14)