1.魔女ブームと日本語の魔女
1990の後半から今までを見てきて、魔女の宗教の実践者は結局の所、本質的に増えているわけではありません。
時々「魔女ブーム」などという言葉が出ては消え、出ては消えという現象がそれだって「ブームといえる程のものですか?」というものばかりですし、そもそもそうしたものは主に魔女ではない人たちの引き起こす「局地的な魔女ブームらしきもの」でしかなく「その時の流行りの日本語の魔女」が一時的に増え、しばらくすると消えてゆき、同様にまた別の「局地的ブームらしきもの」が起こり……の繰り返しが起こっているに過ぎないのです。
実際のところ、少なくても私が実際に見てきた限りでは、この20~30年はそうでした。そして今それが変革されるような事もないので、おそらくこのままだと同じ繰り返しがなされるに過ぎず、結局現状と変わらない未来が待っているのだと思います。そしてこういう状況になる理由は結構はっきりしています。
先づ「そもそも本来の魔女の宗教についてきちんと伝わっていない」ということがあげられます。有名な本やサイトでも、特に日本語のものの場合、魔女以外の人が発信している情報が現実的にはほとんどなので、本質をついていなかったり、肝心なところが抜けていたりというのがほとんどです。
同様に翻訳された本でも、魔女のことを知らない人が翻訳しているのでわけのわからないものになっていたり、魔女なら知っていて当然の用語の発音を間違えた形でカタカナ表記して広めてしまったり、というのが実情です。これが理由の一点目です。
でも、「そもそも元から本物が伝えられていない」わけですから伝わりようもありません。これは例えていえば、どんなに詳しかったとしても、医者ではない、「文系の医療評論家の書いた医学専門書」のようなもので、結局外側から眺めて好き勝手に言っているだけに過ぎません。そしてそういう本に影響を受けた人が「この本(サイト)を読んで魔女になりました」といくら言ったところで、現実的には「日本語の魔女の新しい種類(なのかどうかも本当は怪しいのですが)」が増えたにすぎないのです。そもそも魔女でない人から魔女のことをまて棒というのが間違っているのです。その辺に関しては『魔女になるには誰から学べば良いですか?』をぜひ参照してください。
もう一つは、そうした事情ゆえに、表面的な扱いに終始しているのは至極当たり前のことなのですが、そこまで見通すことすらできずに「さもそれが本当の姿のように」読み取る読者が、その浅薄な理解のまますぐにアクションを起こしてしまう事が多く、さらにそうした人たちの活動を見て「さもそれが本当の姿のように」誤解してしまい、結果として誤解の拡大再生産がなされて伝えられている点があげられます。そしてこれは知識がないのである意味仕方がないことだといえなくもないのですが、何も知らない読者はそれがありがたい情報だと信じてしまい、それに習ってしまうのです。本当は「それが本当かどうか?」を色々な視点から調べるくらいの努力というか労力というかは払って然るべきなのですが……
例えばYouTubeの番組やSNSなどでも魔女とは関係のない学者などの人が、どう見ても本来の魔女と関係ない人をペイガニズムの魔女に祭り上げてフェミニズムやジェンダーなどと結びつけて話をするようなものがどの時代にもあります。そうして祭り上げられた人は自分がまだまだ魔女の知識が未熟だったり、そもそも話にならないレベルであったりしても、(全然分野が違う)専門家に祭り上げられたことで自信を持ってしまいおかしな方向に突っ走り、それを見ていた人もそれに影響されて……等というどうしようもない茶番とその顛末を見せられることもよくある話です。全く迷惑な話なのですが。
ともあれ、そうしたことが時々現れては消え、なんとなくその残滓を残していく「魔女ブームらしきもの」や「魔女ではない人たちによる魔女の世界」あるいは「魔女でない人に認定された日本語の魔女たち」の世界といえなくもありません。
でも、ここで誤解はしないでいただきたいのですが私はこの「日本語の魔女」を否定はしていません。その理由などは私がこのサイトやSchool of Witchのサイトに書いたものを参照してください。私が言いたいのはそれらがペイガニズムいの魔女とは関係ない魔女であり、別物である、ということを言っているだけなのです。そして私がここで語っているのはあくまでもペイガニズムの魔女について、それだけなのです。ちなみに私がここで何度も使っている「日本語の魔女」という言葉については『日本語の「魔女」という言葉』をご参照ください。
さて、私は「日本語の魔女」を否定はしませんが、それがペイガニズムの魔女と同じものとして扱われることは断固拒否します。それは当たり前のことで、一流の野球選手に「同じ球技選手だから」といっていきなりバスケットボールやフットボールの一流選手に混ざって試合に出てくれというのと同じ意味の無理があるというのと同じくらいに無理がある話だからなのです。そして、私がここまででお話している「魔女ブームらしきもの」が生産した魔女たちはあくまでも私たちとは違った「日本語の魔女が増えた現象」だと言うことなのです。そしてしつこいようですが、私はそれらを否定はしていないのです。
ただ、長年見てきて思うのは本当はペイガニズムの魔女に惹かれていたはずなのに、そうした日本語の魔女をペイガニズムの魔女と誤解してそちらに行ってしまい、結局日本語の魔女になって終わってしまったり、これはまだいい方で、人生おかしくしてしまったりという人たちも見てきました。これは私としてもどうにもしようがない話とはいえ、見ていて痛々しいものばかりでした。
2.魔女の宗教改革?
魔女の宗教が神秘宗教だということは自明の前提ですが、この神秘宗教というのはなにもおまじないなどをするから神秘宗教というのではありません。簡単かつ、乱暴な説明をしてしまえば「神秘宗教とは司祭の宗教」ということなのです。
既に魔女の宗教に興味を持っていたり関わっている人にとっては、この説明だけで自明の前提といってしまって良いと思いますが、この文章で初めて魔女の宗教というものを意識する方もいないとは限らないのでもう少し簡単に説明を加えておきましょう。日本のお祭りで御神輿を担いだり、踊ったり、屋台が出たり、とにぎやかに実践しているのが宗教にとっていわゆる公教と呼ばれる部分です。そして、人びとがそうしたお祭騒ぎをしている中、神殿の奥で司祭が厳かに儀式を行っています。この司祭が儀式を行っている部分が神秘宗教なのです。なんとなくイメージはこれで掴んでいただけると思います。
Witchcraftとは少し違いますが、Wiccaも神秘宗教で、その創設者であるガードナーが「Wiccanは全員が司祭」と言ったのはまさにその意味で、そもそも魔女の宗教にはキリスト教などのような「一般信徒」がいない宗教というのが前提にあるのです。なので、こうした元々の魔女の宗教を語る人たちが魔女の宗教について「簡単ではない」というのは当たり前といえば当たり前なのです。だって司祭しかいない宗教、ということなのですから。誰がどう考えても「難しいし大変なのは当たり前」と思うのではないでしょうか?
しかし、同時に私はここ二十年ほど(多少形は変えながらですが)一つの疑問を持っています。魔女の宗教が神秘宗教で、当然学ばなければいけないことも多く、その実践者がそれなりに大変なのは事実です。でも、今後もそれ一辺倒で良いのだろうか?という疑問です。
それは
「司祭までは目指さないけれど魔女の宗教の考え方は自分にあっていると思う」
という人たちへの道を閉ざして良いのか? という疑問です。例えば
「魔女の祝祭を祝いたい」
「ただ祈りたい」
という人たちへの新しい門戸を開くことが「これからの魔女の宗教」には必要なのではないか?という疑問でもあります。
実はこれは色々な観点からの問題を抱える難しい問題なのです。そもそもこれを考えるにはいくつかの前提も必要だからです。もちろん、伝統や教義に基づく深刻な問題もあると思います。その他色々ありますが、それより何より、現実に実行することを考えた場合、先づ根本的な前提となる問題があります。
つまり、第一に「ただ祈りたい」「魔女の祝祭を祝いたい」というタイプの人たちに宗教的なサービスを行うことができる司祭の知識と経験を持った人が圧倒的に不足していることです。第二にこの「司祭は目指さない人たち」がどのくらいいるのか想像ができないところです。
もちろん、想定より人数が少ない場合は、がっかりはするかもしれませんが問題はありません。しかし、逆の場合は深刻な問題です。当たり前ですが一人の司祭、つまり一人前の魔女が相手にできる人数には限度があり、きちんとやった場合、その限度はすぐにきてしまいます。またそうした一人前の魔女を一人育てるのにはとんでもない労力と時間が必要だからです。こうした物理的問題が明確にあります。
そう考えると、これは難しいし労力もかかると思いますが、本当に目指すべきはベテランの魔女と、魔女見習い(?)と、魔女志願者と、魔女の宗教を生活に取り入れたい人とが一緒になって、新しい形を作っていくことが案外現実的なのかもしれないとも思います。
もちろん、他にも色々な方法や視点はあると思いますが、そのくらい大胆な「宗教改革」が日本においては魔女の宗教に求められてきているのではないかと思うのです。
しかし、一番の問題は魔女の内部から唱えても、それに対する反応がないことなのです。それでは何もしようも、考えようもないからです。なのでこれをお読みになった方から、メールでも、TwitterのDMでもなんでも良いので、ご意見など広く頂ければな、と思っています。もちろん、そんな大したことでもなく、感想や要望のようなものだけでも大歓迎です。
(2021.8.29のTwitterに書いたものをまとめて大幅加筆訂正してみました)