6.魔女の宗教の宗教的特質

majyosyukyo Witchcraftという宗教

前回まででWitchの宗教について、

神秘宗教と公教を説明した上で魔女の宗教が神秘宗教であるということ。
②神秘宗教ゆえに魔女の宗教では、一般的な「その宗教固有の究極目標」を共通するものとしては持たない。仮にそのようなものが存在し、大多数の共通見解だとしても「一つの解釈」に過ぎないということ。
③魔女自身が魔女の宗教をある意味宣伝しつつ、いざとなったときに門戸を閉ざしていることで、その是非は別として問題があるという事実。
④Witchの宗教がプリミティブな宗教であるという事実。
⑤Witchの宗教を自分の道として選ぶと人生が変わる、と言っていいほどの変化が訪れることが多いということ。
⑥Witchの宗教では、神秘に触れた後に自分で考え、自分の解釈を得る必要がある場合が少なくなくあり、その解釈を間違うと色々と不都合がある、ということ。
⑦神秘宗教のみという現状から「進化」の可能性が大きく存在するということ。
⑧そもそも魔女は、神秘に触れることのできる特殊な少数派が、そこで得た知識や、応用した知識などを利用して、限られた範囲での「全体への専門職的な奉仕者」だったということがベースになっているということ。
⑨Witchの宗教の中でもWiccaは創唱宗教であり、Witchcraftは民族宗教にルーツを持つということ。
⑩Witchの宗教の実践者としてのWitchにとっての宗教の定義は、一般の定義とは異なるので、それを自覚しておく方が不要な摩擦を起こさずにすむ上に、自分の宗教観の確立にも役立つであろう、ということ。

と、いうようなことを述べてきました。

(細かい部分は省略してありますが、これが今までの話の骨格といえるでしょう。省略した部分がここで箇条書きにしたものと比べて重要ではない、ということではなく、話の筋を追うための拾い出しなので「あ、まとめだ」という感じでは、受け取らないでいただきたいと思います)

さて、こうして眺めてきた上で、私が以前「考えること」を強調していたことについて、宗教的な視点から述べてみたいと思います。

宗教や芸事の世界で、初心者に対して最初に「考えること」を強く説くというのは、このサイトへの質問でも指摘されているように確かに珍しいと思います。ご指摘の通り、「まず信じなさい」「まずやってみなさい」で理屈は後からついてくるという形が多いのも事実でしょう。

しかし、魔女の宗教がプリミティブな宗教であり、神秘に触れた後に自分で考え、自分の解釈を得る必要がある場合が少なくなくあり、その解釈を間違うと色々と不都合があることや、これはプリミティブな宗教ならではとも言えるのですが、例えばイメージなどの非言語的なメッセージを受けたときなどに、それを言語化する必要が出てきたりもします。

また、魔女の宗教は妄信を求めませんし、認めません。自ら考え、自分なりの結論を出し続けるという形で神性に対する信仰を求める宗教だからという言い方もできます。そしてWitchcraftの宗教を実践しているとその必要性は常に否応なく実感させられます。

私はよく

「徹底的に疑いなさい。疑って疑って疑いぬいて、それでも本物なら疑いようがないところにたどり着く。その上で信じるのでも遅いということはまったくない」

と言うのですが、こうした実体験に基づくものなのです。これは宗教でも数学でも何にでも当てはまります。宗教的確信はたしかに直感によるものではあります。しかし、その直感がどんなにスピーディーな結論を求めたとしても、そこには「自分が納得すること」が要求されるのです。そして、そういうスピードが要求されることもままあるのです。それゆえに初心者のうちから「考えること」が大切なのです。そしてやがてはその判断が端から見たら瞬時にできているかのようになることがある意味目標なのです。

さて、もう一つの述べておきたいことは「魔女の宗教が安全」という戯言の全面否定です。よく「魔女になることには危険はない」とか、「セルフイニシエイションをしたり、宣言すれば魔女」と軽く考えている人がいます。しかし、魔女の宗教は前述したように神秘宗教であり、非常にプリミティブなDNAをもっているものだといえます。危険性を認識せずに、そして、危険な場合にどうするかをきちんと決めないでWitchcraftの道を歩き始めるということは、自然の恐ろしさを知らない都会の人間が、いきなり山道で嵐にあってしまうようなものなのです。それゆえに魔女は後から歩いてくる人に大変ではあっても安全性は保証したいと考える人が多いのです。それゆえに自分が責任を持てる範囲を考えた上で、となるとどうしても門を狭くせざるを得ないのです。

とはいえ、必要以上の恐れも必要ありませんきちんとした方法論や手順を踏んで一歩一歩進めば、そうした危険もそのほとんどが安全に乗り越えられます。これはちょうど切れ味の良い道具を安全に自分の愛用の道具にしていく手順に似ているといっても良いでしょう。

とりあえず思いつくままに、特徴になるものを書いてみました。
まだ今後も出てくると思いますが、とりあえずはこれらの点が現実的な問題になる部分だと思い、率直なまとめを試みてみました。

(初出:橘青洲ブログ 2007.9.9 改訂2021.6.14)

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