3. 考えることの楽しさ

majyonohondana 魔女の思考方法論

考えることについて書いた後にいただいたご感想に「語呂合わせ」についての例を書いてくださった方がいらっしゃいました。

私は語呂合わせについて決して否定的ではないのです。でも、そこでも考えて欲しいとは思うのです。

例えば「794年、平安京遷都」を

・鳴くようぐいす平安京
(794)

では、一見美しい感じで良いのですが、そうすると、「鳴くよ鶏平安京」や「鳴くよおっさん平安京」「泣くよ悪がき平安京」ではなぜダメなのか、ということになってしまいます。無論、そう憶えてもよいのですが大した役にも立ちません。ここは、

・ 泣くよ坊さん平安京
(794)

と憶えたいところです。なぜなら、平安遷都の大きな目的の一つが僧侶が政治に大きな影響を持った為に、それを一掃し、天皇親政をしようという「政治的目的を持った遷都」だったからです。

このときノートにウサギが飛び跳ねて壁にぶつかっている絵でも描けたらもう完璧、と私などは思ってしまいます。なぜなら、平安京に遷都する前の平城京で今のウサギの数え方、つまり1羽、2羽が生まれたからです。

当時の僧侶は殺生が禁止という戒律ゆえに動物を食べることが禁じられていました。しかし、僧侶になるということは身分に関係なく立身出世のできる方法だったので優秀な若者がこぞって出家していたのです。しかし、そこは若者、肉を食べたい欲求はしっかりありました。当時の戒律では僧侶でも「鳥は食べてよい」ということになっていたので、権力を背景に「ウサギは飛ぶから鳥だ」ということを定着させて「ゆえにウサギは食べてよい」としたかったのです。そこで、一般庶民に「ウサギの数え方は1羽2羽」と、強制したのです。そのくらい平城京では僧侶の権力が強大だったのです。

と、ここまで考えれば語呂合わせも、イラスト(漫画)も大いに活用すべきだと思うのです。考えるというと堅苦しいことばかりイメージされがちですが、このように色々連想の糸をたどり、関連を発見して、自分なりのイメージの塊を作っていくことは、実際にやり始めると案外楽しいものです。

ついでに言えば、こうした「身分に関係のない立身出世や学問で身を立てる道としての聖職者」という歴史がキリスト教などにもあり、優秀な人材を教会が独占していた事実、そうした優秀な人材がしっかりとした神学などを打ち立てていることなどもメモしておくのも楽しいですね。

余談ですが、そう考えるとそういう歴史を持たないWiccaやWitchcraftが論理的な部分に弱く、宗教として幼稚で未完成の部分をたぶんに持っているのも反省をこめて納得したりします。

それはともかくとして、考えることは楽しい、そういうイメージを特に若い人には持ってもらいたいと思うのです。

(初出:橘青洲ブログ 2007.8.8 改訂2021.6.9)

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