魔女にとって魔法とは祈りですが、祈りが魔法というのではありません。もしそうだとすると全ての祈りが魔法になってしまいます。魔法が祈りの一つ、ということです。また、前回、4大エレメントについて書きましたが、もちろんこれを取り入れていなくても、魔法は成立します。
呪文は当然のことですが「言葉」で唱えます。なので、ここで簡単に言葉について考察しておきます。
言うまでもないことですが正しい言葉を正確に用いることは非常に大切なことです。その理由として、「誤解の少ないコミュニケーション」をとること、というのは挙げるまでもないでしょう。
また、言葉には人が無視しがちなもう一つ重要なことがあります。それは「人間は言葉を通してものを考える」ということです。およそ人がものを思索するときに言葉の媒介無しに論理的思考及び能力を稼動させることは不可能なのは自明でしょう。こうしたとき人は必ず事物を有形無形問わず「言葉に変換して」思考対象あるいは思考の道具とし対処することになるのです。ここで、言葉の概念が不正確だったり、誤っていると必然として不正確な思考、あるいは誤った思考の中に入り込んでしまうのです。
また、人の将来というものが「意識を集中した祈りの力によって現実を変容させた結果として顕現した未来」とみなせば言葉の正確な知識は単純未来を「将来」に、すなわち自分の未来を創造する為の有効な道具でもあるといえます。そう考えると事の重大さは理屈だけでないことは理解できるでしょうし、魔法という「祈りの力によって現実を変化させる技術」の中で「呪文という言葉」が重要な意味を持つことは当たり前だといえるのです。
さて、魔法を使うときの呪文のことを「スペル(spell)」といいますが、この言葉を辞書で引いたことはあるでしょうか。この言葉には名詞と動詞があります。一番日本人にとってポピュラーなのは「単語のつづり」という意味でしょう。中学生以上の人ならば英単語の暗記で「スペルが違う」ということで涙を飲んだ経験が何度もあるのではないでしょうか(かくいう私も飲みまくっていました)。とりあえず確認も含め、以下辞書から抜粋します。
動詞:①(単語を)つづる ②…とつづって…となる、…とつづって…と読む ③(結果として)…を意味する、招く、伴う ④…と交代する、…にかわって動く
名詞1:①一仕事 ②しばらくの間 ③発作
名詞2:①呪文 ②魔力、魅力 (語源:古英語で「話す」の意味)
(研究社『ライトハウス英和辞典』より)
こう見てみると、いくつかの注目すべき点があることに気がつきます。
第一に「語源:古英語で「話す」の意味」という部分です。これは元々スペルというものが「発声されることを前提にしていた」ということをあらわします。その辺に注意してみていくとシェークスピアの作品の中にもこの意味のスペルという単語は散見している事に気がつきます。
シェースクピアは有名なので、あまり意識されていませんが、定冠詞の「the」が生まれる前に書かれたもので(事実、シェークスピアの作品には「定冠詞のthe」が出てきません)、時代的には現代英語ではありません。(ちなみにそうした英語の時代的変遷を眺めるには原千作『英文標準問題精講』(旺文社)が優れたアンソロジーとしてコンパクトにまとまっています。ちなみにこれは大学受験参考書とされていますが、ここに収録されているような古い英語は受験にはまづ出ません。しかし、大学受験を離れて、歴史的な名文を網羅しているという意味ではすばらしい本だと思います。なんといって1,000円以下でかえるというのも素晴らしい)
閑話休題。
ともあれ、スペルという言葉がそもそもは「発音を前提」とするもので、「つづり字」という意味は後からついたものであることがこれでわかると思います。
次に注目すべきは名詞2に記載されている意味が呪文そのものをさしている点です。そして、これが古英語から来ている元々の意味であることからスペルという言葉は「呪文を発声する」という意味をそもそもの由来としているということです。そのことを考えた上で名詞1の「一仕事」という意味の誕生は、呪文によって魔法が実行され、その結果として一仕事終わることが民話などに残っていることから来ているのだろうという推測が成り立ちます。
また、「語源:古英語で「話す」の意味」ということは動詞としての用法が元々であったことを示唆し、その上で動詞の意味を眺めると「②…とつづって…となる」は、「魔法を実行して…となる」という意味が、「③(結果として)…を招く」「④…にかわって動く」は各々「③(魔法の結果として)…を招く」「④(魔法によって)術者にかわって(物事を動かすように)動く」という意味が由来の中に隠されていたことを示唆しているといえます。
このように、スペルという単語の語源や歴史的変遷から由来を語言論的に推察していくと、いかに魔法において言葉が大切であったかを物語っているといえるのです。
さて、別の視点からも同じ事を考察してみます。
旧約聖書創世記11章(ノアの物語の後、アブラハムの物語の前)に述べられている「バベルの塔」の話はご存知だと思います。ただ、意外とこの話は誤解されているところがあるので一応簡単に記述しておくことにします。
人類の言葉は一つだけだった(11章1節)。これはノアの箱舟の洪水のあと、生き残った人類がノアとその子供たち(と、その妻)だけであったことを考えれば当然の話である。やがて時が過ぎ、神の怒り(洪水)の恐怖を忘れた人々はシンアルの野に住みつき(11章2節)、煉瓦とアスファルトを用いて(11章3節)天まで届く塔を作ろうとした(11章4節) 。天まで届く塔のある町を建て、有名になろう、全地のおもてに散るのを免れようと考えた(11章4節)。神はこの塔のある町を見て、「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」といって人々の言葉を通じないようにしてしまった(11章6-7節)。このため、彼らは混乱し、塔を作ることをやめた(11章8節)。こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである(11章9節)。
これがあらましなのですが、ここでいくつか大切な点があります。まづ多くの人が誤解している点として「神が塔を壊した」と思っている人が多いということです。タロットカードの「塔」のカードはバベルの塔をモチーフとしているといわれますが、たいていは落雷などによって塔が破壊されているシーンか、破壊された塔が描かれています。しかし、今あらましを述べたように、『創世記』の記述には「塔が崩された」などとはまったく書かれていません。そしてさらに、「創世記」の著者は、バベルの塔の名前を「混乱」を意味する「バラル」と関係付けて話を締めくくっていることです。
ここで着目すべき点が二つあります。
先づ一つ目は、神が二度と同じ事を人間ができないようにする手段として、「言葉を奪った」ということです。そして、この方法を選んだ動機を神自らが『これでは彼らが何を企てても妨げることはできない』と語っていることです。全能の神がその創造物である人間の企てを妨げられない、と言うのもおかしければ、この直前に大洪水で全てを滅ぼすほどの荒業(ノアの箱舟)をやってのける神が、それを妨げる手段として「言葉を奪う」程度で済ませるという事も変な話ではないでしょうか。
しかし前述の「人間は言葉で思考する」ということをあわせて考えれば、言葉を奪うことによって、「正しいコミュニケーションを奪う」ことで協力し合うことができない状態にした上で「思考能力を低下させた」のだと考えれば納得はできなくもありません。
また、この寓話の解釈は人間のおごりや欲望等といった教条主義的な解釈も参考にはなりますが、エジプト神話のイシス女神の話を比較すると想像が容易になります。
イシス女神はエジプト神話では、実質的な最高神となっています。これはイシス女神が他の神々の「真実の名」を知っていたからとされています。神話では「真実の名を知るものは相手を操ることができる」という趣旨のことが書かれています。そして、またこのような話は世界中のいたるところで同様の趣旨で語られることが多いようです。また、旧約聖書にもペヌエルの地で神(天使)とヤコブが一晩中格闘を行う話(創世記32章29節)がありますが、そこでヤコブが格闘している相手(神)に対して名乗るように求めますが、それは即答で拒否されます。これは名前を知られることは相手に隷属することになるという発想からの記述といえると思います。
このように言葉と名前に関する事情を考えて、さらに当時の人間の始祖たるノアが神と直接会話をしていたという記述を考え合わせれば、どうやら当時の人たちは、「神の真実の名」を呪文として使えたのではないか、という事が推測されます。これならば確かに全能である神が人の企てを妨げられない、と感じるのも無理のない話になりますし、対策として「言葉を奪う」という方法論を採用したことも納得できるでしょう。
第二点目は、「言葉を奪った」後に、人々を散り散りにさせた、という点です。これは一体何を意味しているのでしょうか。
これについては、世界中に異なる言葉を話す多くの人たちがいることを説明するための寓話という解釈もできますし、それはとても納得できるものです。しかし、この話の中で「言葉を奪った上で」神と人間の上下関係が再構築された後に、人々を世界の各地に送り出すことによって、神や女神の偉大さを知り伝える人たちが祖となる人類が世界に広がることを述べている、という解釈も同時にできます。また、このことが単なる寓話以上のものを伝えている証拠のように、全ての古代文明が神や女神に対しては本質的には共通の考えを持っていたことにも思いをめぐらすことができるのです。
話を元に戻すと、なぜ、魔法に呪文という言葉が必要なのか、それは日本語にも「言霊」と言う言葉があるように、人間の言葉にはある種の実質的なパワーが秘められているからだといえます。「Spellという言葉」はそうしたことを今に伝えているのかもしれません。
人が言葉の由緒を忘れても、言葉はその由緒を忘れないのです。そして、魔女はその由緒を大切にすることで魔法を使うのです。