第4信 祈りと言葉

祈りの言葉について、あなたは色々と思い悩むことがあるかもしれません。
例えば、魔女なのだから、西洋の伝統に繋がるものを実践しているのだから祈りの言葉を英語で唱えるべきなのではないだろうか? とか、英語の古語である古英語を使うべきではないか?とか、あるいはもっと呪文らしい言葉を使うべきでないだろうか? 等と思い迷うこともあるかもしれません。

あるいはそうした「いかにも呪文らしい言葉」を使わなければ祈りのパワーが出ないか、あるいは貧弱になるのではと不安に感じることがあるかもしれせまん。

結論から言えばそれはすべて杞憂です。

祈りの言葉で大切なことは

「いかに自分の言葉で祈るか」

に尽きるのです。第2信にも書きましたが、祈りで一番大切なことは「その祈りに切実なリアリティを持つこと」です。それには自分の祈りの言葉にリアリティがなければいけないのは当然のことです。だから

祈りの言葉は日本語で、しかも自分が使い慣れている言葉で組み立てるのが一番

なのです。もちろんその中に自分が感銘を受けた言葉を加えたりというアレンジはとてもよいアイデアです。でも、何よりも一番の骨格は「使い慣れた自分の言葉」であるべきなのです。もちろん、帰国子女の方などの場合、もしかすると日本語より英語などの外国語の方が「自分の言葉」かもしれません。そうした場合はもちろん英語などの外国語で祈りの言葉を組み立てるべきです。しかし、そうでない場合は母語である日本語で組み立てる祈りの言葉以上にパワフルな祈りの言葉は存在し得ません

まづは日本語で、しかも自分の言葉で祈りの言葉を組み立てる練習をはじめましょう。ここでいう「自分の言葉」というのは例えば神性に呼びかける部分を

「神よ、女神よ」

とするよりも、もっと親しい存在に語りかけるように

「神様、女神様」

とする方が祈りになれるまでは上手く行く場合が多いのです。ようするにあなたが自分の親しい人にどのように呼びかけるかを考えて、それと同じようにすれば良いのです。

逆にもしあなたが家族に対して「父よ、母よ」とか「兄よ、姉よ」とか「妹よ、弟よ」とか、あるいは友人に「友よ、我が友よ」と日常会話で呼びかける習慣があるというのでしたら 「神よ、女神よ」と呼びかける方が自然でしょうか、普通そういう人はなかなかいませんよね。

このように自分が使い慣れた言葉で祈りの言葉を作ることが「自分の祈りに強いリアリティを持たせる」為の最初の、そして最大の方法であり、技術なのです。

今回は前回までと比べて少し短いものですが、今までの手紙を踏まえて読んでいただけば、ある意味

「祈りの奥義」

の一つをお話できたものになっていると思います。

それではまた次の手紙でお会いしましょう。

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