「祈りで困ったときは祈れば良い」というお話を前回書きました。今回はちょっと視点を変えて「色々な祈りの型」について書いてみようと思います。
まづ最初に「数字と祈り」という話です。これはどういうことかというと、
・一晩中祈り続ける祈りの型
・三日間連続して祈る祈りの型
・七日間連続して祈る祈りの型
・九日間連続して祈る祈りの型
という代表的な型のことです。
一晩中祈り続ける型というのはキリスト教では「ヴィジリアの祈り」と呼ばれますが、ここでの話は「死者のための通夜の祈り」というわけではありません。私がここでお話したいのは、中世ヨーロッパで、従士が騎士に叙任される前夜に、終生騎士として生きるための準備として、入浴し、断食と告解を行い、礼拝堂で一人徹夜の祈りを献げる慣習があったことにつながっている祈りです。この場合、翌朝、彼は清浄の象徴である白衣を着て叙任の儀式に臨むのですが、私たちは騎士になるために祈るわけでは当然ありません。
この「夜通しの祈り」はキリスト教より古い習慣からきているといわれています。まづ、身を清め、一人静かに祭壇に向かって自分の罪や汚れが清められるように祈ります。そして次に自分の切実で急ぎの必要の在る事柄についてひたすら祈るのです。このときものを食べないのはもちろん、水も口にしないようにしていたといわれています。
あるいは型は同じですが、切実な急ぎの祈りではなく、成人の前夜や何かの人生の区切りのときなどにこれからの自分がしっかりとやって行けるようにと祈ったとも言われています。
ただ、実際に元々がどうであったか、というのは正直な話よく分かっていません。ただ、こういう「祈りの型」が残されたという事実があるのみです。
でも、一晩中祭壇に向かい、大きなキャンドルの灯だけで朝が来るまで祈り続ける、こうした非日常的な祈りに没頭する時間というのはぜひあなたにも経験してもらいたい体験です。
「三日間連続して祈る祈りの型」と「七日間連続して祈る祈りの型」は違いよりも共通点の方が多い祈りです。これは「何か特定の願い事」が叶うように祈る祈りの型です。
キリスト教などでも同じような祈りの型がありますが、私たちの場合は三等分、あるいは七等分に切り込みなどの印の付いたキャンドルを用意して「1日1目盛り分」燃やし、その間祈り続ける祈りの型です。
この場合、時として、3日目あるいは7日目になる前に願いがかなってしまうこともあります。そうした場合は残りの分で「感謝の祈り」を捧げます。
最後に「九日間の祈りの型」です。これはキリスト教などではノヴェナと呼ばれ、17世紀始まった信心業で、聖母や特定の聖人などに自分の特定の願いをかなえてくれるように祈る祈りの型とされています。しかし、これは明らかにキリスト教以前の古い宗教の祈りの型(キリスト教では「古い慣習」とよんでいます)なので、 聖アウグスティヌス、偽アルクィン、 ジャン・ベレトといった、カソリックの著述家たちは「これを行うべきではない」と警告しています。
これは逆に言えば私たちにとっては「非常に伝統的な祈りの型」であることがある意味保証されているようなものです。毎日、同じ場所で、できれば同じ時間に連日9日間特定の神や女神に対して、自分の特定の望みをかなえてくれるように祈るのがこの祈りの型です。
このように「祈りの型」は「数字」という切り口で伝統的な祈りをマスターするように私たちに残されたものだとも言えます。
祈りの言葉自体はなんでも良いので、まづ一度、あなたも「夜通しの祈り」からはじめてみませんか。今まで感じたことがない祈りのバイブレーションを感じることができるでしょう。そして、それは貴女にとって「祈り」というものの意味をより大きなものにしてくれる体験になることは間違いありません。
それでは今回はこの辺にしましょう。次回はこの「九日間の祈りの型」について少し詳しくお話したいと思っています。