世の中にはたくさんの宗教があり、また宗教と一言で言ってもかなりその内実は多岐にわたります。
キリスト教やイスラームに代表される一神教や門外漢から見たら思想に近い仏教など、それらを一括りに宗教という集合の中に入れること自体が相当に大胆な発想だといえると思います。
Witchcraftは公教になるものを形としてもっていないだけに更にこの「宗教という集合」に大きな多様性を付け加えているといえます。Witchcraftは非常にプリミティブな神秘宗教であるがゆえに公教を宗教の本質としては必要としていないからです。
基本的に日本人が宗教を語ろうとするとき、あるいは考えるとき、そこでイメージされる宗教は公教であり、神秘宗教ではないでしょう。別に日本人に限らなくても、ほとんどの人にとってもそうだと思います。善し悪しの話ではなく、Witchcraftを公教が中心となっている宗教と対比してみたときにおよそ宗教らしからぬ様相を呈していると感じる人の方が圧倒的に多いとも思います。少なくても表面的に眺めた場合、そう見えてもまったく不思議ではありません。それこそ一神教と仏教を同じ「宗教という集合」に入れたのと同じくらいの大胆さがWitchcraftを「宗教という集合」に入れるのには必要だという場面もよく見受けられます。
だから「いわゆる魔女の宗教」を宗教として考えるとき、日本人が抱いている一般的な宗教に対する捉え方で考えると理解不能な、あるいは不能とまではいえなくてもどうしても宗教だと理解し得ないものに突き当たることがあるのです。また、宗教としてWitchcraftを見ていこうとした時にどうしても一般的イメージの宗教に共通するものが当てはまらないということもままあるでしょう。
こうした視点から特に「Witchcraftという宗教」の特異性を中心に今まで頂いた質問に順不同でお応えする意味も含めて書いていこうと思います。
(初出:橘青洲ブログ 2007.9.2 改訂2021.6.13)