西洋発祥のWitchcraftを日本で日本人が行う場合、色々な工夫が必要になる場面があることは「日本風Witchcraftとはどういうものですか?」でお話ししました。今回はもう少し突っ込んでこの事についてお応えしたいと思います。
まづ、日本の伝統に根ざした実践、ということを考えた時に最初に思いつきやすいのは季節の祝祭に日本ならではの季節感をどう取り入れるか?ではないでしょうか。季節といっても、日本の場合は二十四節気(にじゅうしせっき)・七十二候(しちじゅうにこう)という季節感があります。
もっとも二十四節気は戦国時代の中国で、七十二候は古代中国で考えられたものなので発祥を考えれば純粋に日本の暦、というわけではありません。取り入れやすさから言えば冬至、夏至や春分、秋分などのある二十四節気だと思いますが、七十二候の方が日本の伝統には根ざしていると言えなくもありません。と,いうのも二十四節気は今でも中国のものがそのまま使われていますが、七十二候の名称は江戸時代に渋川春海ら暦学者によって日本の気候風土に合うように改訂された「本朝七十二候」が作成されるなど、日本に合わせて何度か変更されているからです。現在の七十二候は1874年(明治7年)の「略本暦」に掲載されたものが主に使われています。
さて、七十二候は二十四節気をさらに約5日ずつの3つに分けた期間のことですが、日本のように南北に長い島国の場合、同じ日本のなかでも季節感がだいぶ違います。なので、二十四節気をさらに分けてその上旬と下旬(という分け方であっているのかはわかりません。もし「違うよ」ということをご存じの方がいらっしゃったらぜひお教えください)にしてあれば、それを採用することでより実際の季節にあった祝祭ができるでしょうし、西洋では感じ取れないような細やかな季節感を新しい祝祭として取り入れることもできるからです。
下手に昔の伝統や日本の神道に絡んだものを「日本の伝統だから」とか「日本に根ざしたものだから」などといって安易に取り入れるのではなく、こうした現代の暦にも息づいているものを採用していく事の方がよほど「土地と伝統に根ざした実践」と言えるのは間違いありません。それこそ欧米の魔女が自分たちの土地の伝統や季節をどのように取り込んでいるかを文字通りモデルとして、その上に日本ならではの、というものを作っていくことも大切な発想です。「薄っぺらい日本らしさ」や「猿まねプラスα」などでも、日本のことをよく知らない外国人には「日本の伝統を取り入れている」ともしかしたら受けいれられたり、あるいは絶賛されるかもしれません。でも、それは結局の所「滑稽な事をしているに過ぎないという本質」は変わりませんし、見る人が見たら吹き出されるのが関の山です。
今回は季節の祝祭を例にしてのお話をしましたが、機会を見つけて他の例もあげていきたいと思います。