この記事も「魔女へのガイダンス」の一環としての書き方をしていますので『魔女志願者が気をつけることは何ですか?(魔女へのガイダンス1) 』からこの記事までのところで読んでいないところがあったらぜひ前にさかのぼってからお読みください。
さて、魔女になるための学習や訓練を私は何度かオンラインで試みたことがあります。しかし、結果はどれも大変不満足なものでした。だから数年前までは「今後絶対にオンラインではやらない」と決めていました。
さて、ではなぜオンラインではダメなのでしょうか。
たしかに知識を教えるだけならば、オンラインでも工夫次第で可能でしょう。しかし、魔女になるためには訓練がどうしても必要です。技術的な面で言えば、本当は直接見せて教える部分を映像教材で、きちんとできたかどうかをリアルタイムのチャットやレポートなどで、というようにできると思います。しかし、これでは無理な部分があるのです。
それは人間の持つ共通した弱さなのです。
つまり、その場で面と向かっての訓練ならば、その場でできるまでやってもらったり、何度も手本を見せてまねをしてもらったり、ということもできます。しかし、たいていの人は面と向かっていなければなかなかそうはできません。
それに加えて、これは少し話自体がずれてしまっているとも言えなくもないのですが、魔女の訓練に対するイメージの問題があります。それは、自分が勝手にイメージしていた訓練と比べて最初に与えられる課題がとても地味に感じたり、思っていたものと違うな、と感じたり、そうしたいろいろな原因でモチベーションを下げてしまうのです。しかし、その価値や大切さを伝える事は簡単だとしても、それを伝え続けるのは非常に難しいのです。
とはいえ「コツは?」 と聞かれれば「地味な訓練や理解しにくいことを必死に理解するまでがんばってみるといった地道な努力をこつこつと続けていく」しかないのです。
そして、そうした着実な実践をいくら私が繰り返し説いても、結局実践するのは本人であり、本人の感情論まではお付き合いしきれないことが嫌というほど、ある意味最初にわかっていた通りに、実感されるのです。
今後、これをお読みの方々がどのような道をどのように進まれるのかはわかりません。しかし、一つだけはっきりと断言できることはしつこいですが、
「着実に地味な実践を続けていく」
以外に自分のものになるとは努々(関係ありませんがこれ読めますか?小学校で習う感じですがその「読み」となると……という感じです。)思わないで頂きたいということです。これは語学を学ぼうというときに、一つ一つ癇癪を起こさずに、あきらめずに、たゆまず憶えている単語を増やしていくことが大切なのと同じなのです。
こうした地味な努力をコツコツと続けていく職人的な努力が必要なのです。そして、本来魔女の師弟関係というのはそうした地道な努力を師がその上達(熟練度)を日々さりげなく観察していく職人的なものなのです。だからどうにもオンラインでというのは絶望的な仕事だと思ったのです。
そこで、オンラインの即時性と実際に手にとることができる共通の教材、それに加えて複数回のスクーリング、これを全部パッケージにしてみたらどうか? ということをある時ふと思ってしまいました。
「思ってしまった」という言い方には二つの大きな(?)意味がありました。1つ目は「これをやったらこっちの負担が大変だな」ということです。回数や頻度は別としてオンラインで講義をする事にもなるだろうしこれは物理的にも色々と大変だろうということは簡単に想像していただけると思います。私もそう思いました。そしてもう1つは「ここまでこちらで用意しても実際それをやってみようという人がいるだろうか?」ということです。これは受講する側も相当に大変だろうな、とも思ったことです。なので、これをやろうと思うのには結構時間もかかり悩みました。
まぁ、結局それをやってしまったのが「魔女の通信講座School of Witch」なのです。しかし、これも実際やってみると想像を越えてしまったところも多くあります。やはり、職人の徒弟のように(?)いつでも質問したりやりとりできる環境はどうしても必要だと感じ始めました。これはSkypeを専用にアカウントをとって、加えてPCを用意して、私の机の上で24時間稼働しています。これでいつでも何処からでも私にリアルタイムで質問できることになります。また、テキストの解説も数冊をまとめて数回講義をすれば良いかと考えていたのですが、結局現状ではすべてのテキストのオンライン講義をし、補講も行うようになりました。結局最初に「思ってしまった」時に想定していたものの数倍の大変さでした。しかし、逆に言うと、ここまでやると何とかできるものだな、というのも実感しています。
閑話休題
ようするに、オンラインでどこまでできるか、という事を考えたときに私が到達した結果は私も受講生側も
「共に着実に地味な実践を続けていく」
という事に尽きる、ということでした。魔女として一人前になったり、やがて(馬齢を重ねるという意味でなく)ベテランと呼ばれるようになっていくには結局、地味な訓練や理解しにくい事を必死に理解するまで頑張ってみるという地道な努力をこつこつと続けていく事に尽きるのです。これは私自身が自分を振り返って、また他の様々な専門家の方々をみても同じことがいえると思います。
追記:「努々」読めましたか?答は「ゆめゆめ」で由来は漢語ので「決して~してはいけない」というときの「決して」とほぼ同じ意味の副詞です。さて、ここでチェックポイントです。この問いかけに対してあなたは次のどれだったでしょうか?
1.最初から読みも意味も知っていた
2.わからなかったけどそのままここまで読んできた
3.わからなかったのでネットで調べた
4.わからなかったので電子辞書で調べた
5.わからなかったので紙の辞書で調べた
1の人は問題ありません。これからも頑張ってください。2の人は大いに反省してください。少なくても「わからないものをそのままにしてしまう」というのは魔女にとって致命的な態度です。また、厳しいことを言ってしまえばこの姿勢で何かをなし遂げることはできません。3、4の人が一番多いのではないでしょうか。調べないよりはずっと良いのですが残念ながら「魔女の適性」という意味では劣ってしまいます。ネットや電子版というのはどうしても「ピンポイントでしか調べられない」という欠点があります。 これは同じ調べる、という作業をしても得られるものが乏しいのでもったいないのです。5の人はそれが習慣でしたらとても素晴らしいです。紙の辞書で調べると、どうしても関係の無い前後に出ているものが目に入ります。そして、それをついでに読んでみたりする機会が増えます。これはネットや電子辞書では決して得られない経験になるのです。しかも、紙の辞書の場合、前後に関係性がありません。例えば、今たまたま手元にあった「学研国語大辞典」(金田一晴彦・池田弥三郎編)で「努々」を引くとその前後に「夢物語り」「湯文字」という言葉が出ています。おそらくどちらも一生辞書を引く可能性が無い言葉かもしれません。特に「湯文字」などは一生縁がない人の方が多い、そういう言葉では無いでしょうか?そしてこうして偶然得ていく無駄な知識が辞書を引くたびに増えていくのが「紙の辞書」なのです。そして、この蓄積が「教養」となっていくのです。魔女はベテランになればなるほど(魔女だと知らない人からも含めて)人から様々な相談を受けたりするように自然となってきます。そうしたときにこうした教養の蓄積が役に立ってきます。魔女になるにはダイレクトに関係しませんが魔女になってから恥を掻かないようにするためにはこうした蓄積が絶対必要なのです。