正直難しいご質問です。これは私の記憶では1970年代くらいから欧米では議論となる話題になっていたようですが、日本では1990年代くらいから少し話題として上がるようになってきました。しかし当時(今も?)日本の魔女の中でそういう難しい問題に真剣に向き合えるまともな魔女がほとんどいなかったので議論がといえるほど盛り上がったことはありませんでした。もともとは
「カヴンに性自認が生物学上の性別と違う人や同性愛者を受けいれるかどうか?」
というような話がメインだったように記憶しています。
当時のWiccaを中心とした新しい魔女たちや当時のフェミニズムの魔女たちを中心に、それこそ今でいう「LBGTの権利を最優先すべきというような主張から積極的に受けいれるべきだ、それで矛盾が生じたり不都合が出てくるようならそれを改善すれば良い」という受けいれを歓迎しようという主張の人たちが大筋でした。
それに反して古い伝統に基づくWitchcraftの実践者やWiccaの中でも保守派の人たちなどは、そもそも魔女の儀式には性別による役割分担があり、性格的に自然宗教であり、祀っている神性も男神と女神なのだから、そうした生物学的なジェンダー(註1)を無視したものを受けいれたり、ましてやそれに妥協して伝統を改変するなどとんでもない、というような主張が大筋でした。
もちろん、これらは両極で、実際にはこの中間の人たちが多かったように記憶しています。とはいえ、最初にもお話ししたようにこうした議論をきちんとできるような真剣な魔女はほとんどいなかったので日本では魔女たちによってこの議論がきちんとされることはほとんどありませんでしたし、今も同様です。
もちろん、魔女とは全く別の視点でLBGTの権利を筆頭にしたジェンダーについての「意識が高い人たち」が魔女の世界にそうした問題を持ち込もうとしていたこともありました。私自身があまり関心を持っていないので詳しくはないので明言はできませんがこれは今でも多少あるのではないかと思います。というのも日本語の魔女はある意味なんでもありなので、こうした活動家が魔女の世界に勝手に上がり込んでくるということは今までも色々な分野でよくあることでしたので、その中の一つと考えればいても不思議がないと思うからです。そうした活動家が外部から魔女を利用しようとして活動するおかげで、かえって真剣な魔女にこうした問題に嫌悪感を抱かせ、余計保守的かつ依怙地なまでにそうした活動家の主張するものやそれを含むもっと広い範囲まで拒絶するように結果的に仕向けていることもよくあることですから。
どちらにしても、この問題は個人的にけりがついていると思っている人もいると思いますが、全体で言えばどんな魔女であるか、どんな流派であるかなどに関わらず、意見はかなりバラバラで個人の考え方によるという状況だといえます。それでも流派ごとの見解をまとめてあるところもあるでしょうし、カヴンとしての見解をまとめているところもあるでしょう。最近では「多様性」という言葉をキーワードに受けいれる方向へという人が多くなってきている気はします。しかし、この問題がはっきりと決着することは今後も全体としてはないのではないかと思います。
(註1) 生物学的なジェンダーとは、そもそものジェンダーの定義が「社会的意味合いから見た、男女の性区別」という事なので「生物学的なジェンダー=生物としての雌雄の役割」という意味で定義しています。簡単に言えば「オシベとメシベの役割」というようにたかだか人間風情が恣意的に変えることができない役割という事が生物学的なジェンダーと言えます。
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