魔女になる為にどんな事に注意して質問すればいいですか?(魔女へのガイダンス5)

魔女になるには

この質問は『魔女になるにはまづ知識たくさん身につけることですか?(魔女へのガイダンス4)』の続きのないようになっています。

ネットが普通の物となり、メールなどで簡単に本の著者などに連絡ができるようになり、昔と比べて魔女志願者ができる手段が革命的に増えたことは『魔女になるにはまづ知識たくさん身につけることですか?(魔女へのガイダンス4) 』でお話しした通りです。そこでは「行動することの大切さ」をお話ししましたが、以前「でも、見ず知らずの人にいきなりどういうメールを送って良いのかわからない」という疑問を相談されたことがあります。

実はこの疑問が出てきたということはそれだけで第一ハードルを軽々とクリアしているのです。なぜなら、この疑問を持つということはいきなり

「おっす、おいらノラえもん、質問あるから応えてね♪」

などというメールを出したりしない常識人だという証拠だからです。常識があるからこそ、失礼にならないメールを、と思い緊張するからこそこうした疑問が生まれるのですからその心がけができた時点で最低乱は突破しているのです。

「失礼にならないように」
「無礼な文章にならないように」

というのは当然意識すると思います。この「失礼」「無礼」の「礼」という言葉はどういう意味でしょうか?

「礼」という言葉の元々の意味は「相手を敬う心」の事でした。この言葉に中国の春秋戦国時代孔子を筆頭とした儒家によって色々な意味が付け足され「人間関係を円滑にすすめ社会秩序を維持するための道徳的な規範」をも意味するようになりました。

とんでもなく簡単にまとめると

「礼」を守っていれば誰に何を言っても聞いても怖くない

というありがたいもの(?)なのです。でも、知らずにこの「礼」を失してしまったら(くどい解説をしておくと「礼」からはずれることを「礼を失する」といいます。「失礼」の語源です)、相手を怒らせるものでもある怖いものでもあります。そうなるときっと誰でもこう思うでしょう。

「礼」のマニュアルが欲しい!

当然、昔の人もそう思いました。そこで

「こうすればOKという型を作っておけば良いのでは。それが決まっていれば、それを守っているのに怒られても『私はきちんと礼を守っています』と反論できるし、何より心配事が減る」

という考えに行き着きました。

魔女をめざしている方や既に魔女である方は「儀式」という言葉をご存じでしょう。この「儀式」の「儀」という文字は「型」を意味しています。もうお分かりだと思いますが、そうして生み出されたのが「礼の型」つまり「礼儀」なのです。

人間が生み出した知恵の中で「礼儀」というのはとても大切で便利で大したものです。礼儀は人間関係を良好にするために、人間が築いてきた古来からの知恵です。挨拶や言葉づかいといった礼儀の型というものがあるのは誰でも知っているでしょう。もう一度繰り返すと

「礼儀とは型」

なのです。つまり、礼儀とはきちんとした型を守ることで人間関係を円滑にするものなのです。特に初めての相手に接するときなどは特に重要です。お互いが共通認識として知っている型を守りあうことで、それを安心感のよりどころとするのです。

私が本の奥付などを頼りに、色々な方にあっていただいたり、お話を伺わせて頂いたりしたことはすでに書きましたが、思い返せば私はそれを10代前半の頃からやっていました。そして今日までそのスタイルで色々な方とやり取りをさせて頂いておりますが、その秘訣というか、基本というか、根本にあるのは礼儀につきるように思います。

ところで、よく「魔女は礼儀にうるさい人が多い」という話を耳にします。確かにその通りだと思います。でもそれは、必要以上にうるさいわけではなく、最低限を守っていない人が多いのにうんざりしている、というだけのようにも思います。礼儀にうるさいということを言う人が、魔女と何を比べてそういっているのかわかりませんが。

最低限の礼儀にもうるさくならない人もいます。どんな無礼な問いかけにもにこにこしています。そういう人を見ると「ああ、なんてこの人は人格者なのだろう」と思うかもしれません。たしかにそういう人もいるかもしれませんが実際にはほとんどが、その人も最低限の礼儀すらわかっていないか、そのような大切なことすら、若い人に教える親切さもないか、どちらかの場合が多いようです。しかも圧倒的に。

だから「魔女は礼儀にうるさい人が多い」という話を耳にする事が多いのは、ある意味誇らしいことだと思っています。魔女は宗教ですし、儀式を大切にします。そして、儀式とは「伝統に基づいた型」でもあります。だからこそ「礼儀にうるさい=型を守る姿勢を崩さない」という定評があるということで、ある意味喜ばしいことだと思うからです。この辺りは私が日本の魔女たちについて誇りを感じる部分でもあります。

さて、少し具体的な話にまいりましょう。知らない人に手紙を自分の都合で送りたいときに、自分の用件以上にその型を守ることに細心の注意を払うことは当然です。これができていない人が多いという事実は嘆かわしいことです。

たとえば、いきなり知らない人に電話をして用件を一方的に話し始めて誰がきちんと聞いてくれるでしょうか。手紙だってこれと同じなのです。最近はメールを送ることが普通の連絡手段になってきましたから、知らない人にいきなりメールを送ることはすでに失礼ではなくなっていますが、メールも手紙と同じです。最低限、

①基本的な挨拶
②自己紹介
③どうして相手のことを知ったか

④本やサイトなど読んだものに対しての簡単な感想
(これは結構重要。これがあると他で失敗していても結構カヴァーされます)
⑤メールを読んでくれたことの御礼

くらいは書かなければいけません。また、メールはネット上だから、という気持ちからなのでしょうが、本名も何も書かず、ハンドルネームで出す人も多いようですが、これは論外です。私もとりあえずハンドルネームでの質問にも答えはしますが、軽い内容のものに軽い答え以上のことはしません。返信をしばらく忘れてしまったりしても全く申し訳ないとは思いません。友達同士ならそれでもよいでしょうが、自分が相手に質問なりをしたいのに自分の名前すらきちんと名乗らないで済まそうというのはそもそもおかしなことです。

こういうことを言うと「いきなり本名で自己紹介とか個人情報が……」などという寝ぼけたことを言う人も少なからずいますが、私はそういう人にお聞きしたいのです。

「あなたの個人情報はそんなに価値があるものなのですか?」

と。

今まで「個人情報が……」などという世迷いごとを偉そうに語ってくれる方はたくさんいましたが、その言葉に見合うほどの価値のあるご立派な個人情報を持っている方にはついぞお目にかかったことがありません。

逆にこんなに立派な人が連絡を下さった、ともらったこちらが感激するほどの人ほど、しっかりとご自分の自己紹介を恐縮するほどにしてくださいます。

ここではっきり言います。
個人情報が、などといって初めての人に名乗りもしない人の個人情報などは永遠にごみ以下です。それを改めないようでは、価値が急落し続けることは誰でも予想できますが、上がることはありません。

そしてここは冷静に考えてほしいのですが「そんな価値のない人」に時間を費やしたい人などまともな人にはいません。皆さんも、もし自分のところにいきなり

「もしもし、○○さんですよね。私はパンダさんなんですが質問があります。(うだうだうだ…)」

という質問の電話がかかってきたら親切丁寧に答えるでしょうか。それと同じです。

もちろん「パンダさんが本名なら別」です。全国のパンダさん、失礼しました。

さて、せっかくネットやメールなど、昔の私が心底うらやましいと思うほどに、普通ならアクセスすること自体が難しいような人に連絡を差し上げられる状況が今はあるのです。この新しいチャンスを、人間の伝統的な知恵である「礼儀という型」をしっかり活用していかして欲しいと私は思うのです。

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