「古株魔女が他の魔女をジャッジしている」というのはどういうことですか?

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このご質問は元々はもっと長くて『先日「古株魔女はすぐ、他の魔女をジャッジしている」と文句を言っている魔女に会いました。ジャッジするとはどういうことですか。それはなぜ起きるのですか。悪いことなのですか?』というものでした。タイトルの都合上短くしたことを最初にお断りしておきます。

まづご質問の前半について「古株魔女はすぐ、他の魔女をジャッジしている」という意味と「それはなぜ起きるのですか」ということについてです。

これはおそらくこのご質問で「他の魔女」と言われている人たちは「いわゆる日本語の魔女」の人たちなのではないかと思います。そして同様に「古株魔女」と呼ばれている人はたぶん、2000年代前後くらいまでに既にWiccaや伝統的なWitchcraftのようなペイガニズムの魔女になっていた人ではないかと思います。便宜上、前者を日本語の魔女、後者を本来の古い魔女という言い方をこの記事ではする事にします。

かつて、特にインターネット黎明期にこうした日本語の魔女が激増した時代がありました。おそらくこの頃は日本語の魔女たちも本来の古い魔女たちもこの新しい世界にワクワクしていた、ある意味無邪気で明るい時代だった、とも言えます。本来の古い魔女たちはこれでもしかすると自分と同じような魔女たちに出会えるかもしれない、という期待等を持っていたと思います。そこにこうした本来の本来の古い魔女のような魔女に憧れる日本語の魔女たちが「私が仲間です」という感じに現れたわけです。

これは当然ですが、どちらが良いとか悪いとか以前に全然別物なのはお分かりいただけると思います。片や先輩たちから伝統を受け継いでそれを守りながらきた魔女と、そうした経験なしで本などを片手に魔女を自称している人たちが同じものであるはずがありません。当然本来の古い魔女たちは「仲間ではないですよ、別物ですよ」という反応をします。ところがそうなると面白くないのは日本語の魔女たちの方です。本来の古い魔女に仲間だと「認められることで本物」と自分に自信を付けたかったという面が強い人が多かったので「本物の魔女じゃないといわれた!」と被害妄想に陥ってしまう人が多かったのです。こうした人がよく口にしていたのが「古株魔女はすぐ、他の魔女をジャッジしている」という文句でした。かつてほどこうした会話を聞く機会は激減しましたが、とはいえ、今も多少形は変わってはいるかもしれないものの「本来の古い魔女に認められることで自信を持ちたい日本語魔女」が「仲間だと認められなかった、ジャッジされた」と言うという構図はなくなってはいないのです。

以上がこの話の意味となぜ起きるのか?という事についてです。

さて後半の問題、この事は「悪いことなのですか?」という部分です。これが悪いことだと言う日本語の魔女はたぶん今も存在するのでしょう。

しかし、これは上で説明したように「別物を同じと認めろ」という言っているのと同じです。例えは悪いかもしれませんが、小校生4年生が大学生4年生に「同じ4年生なのだから対等だと認めろ」と言っているようなものです。はっきり言ってナンセンスですよね。

なので「これを悪いといいきる人」ははっきり言って「魔女であるかどうか以前にジャッジされて仕方ない頭の持ち主」だと思います。そして、そもそも別物を別物といっているだけの話なので悪い事でないのは自明です。

なので、もしあなたが「ジャッジされた」と文句を言っている魔女を今後見かけることがあったら「その人がどのような魔女」で、その人が「どのような魔女と見られたいと思っているか」を観察してみると良いと思います。そうすることでこの話の本質が見えてくると思います。

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